2017年10月20日金曜日

永遠の詩稿

   永遠の詩稿

書きためた詩稿が
大陸棚に沈んでいる。
ウツボが泳いできて
なんだ喰えんわ、これと云って
上に、尾を巻いて去っていく。
もともと、おれは
そうかんたんに喰えない言葉で
詩を書いてるんだから
ウツボよ、あきらめろ。
もっと巨きなやつを呼んでこい。
鯨を呼んできて
身代りになってもらえ。
大陸棚は永遠の夜である。
深海魚の眼でないと
なにも見えん。
水圧によく耐えるやつでないと。
書きためた詩稿は
永遠に
大陸棚に沈んでいる。


「ウツボ」=写真、wiki=は、温暖な地域の浅海に生息し、鋭い歯と大きな口を持つ大型肉食魚。世界の熱帯・温帯の海で約200種、日本近海には約40種が知られているが、そのうちの過半数は沖縄諸島以南に分布しています。

体は前後に細長い円筒形で、20センチから4メートルまで幅広いが全長1メートル前後の種類が多い。腹鰭が退化し、背鰭・尾鰭・臀鰭が一繋がりになっています。いくらか上下に平たいものが多く、腹鰭だけでなく胸鰭も退化しています。

体色は種によって様々。多くは生息環境に応じた保護色として地味な色をしていますが、トラウツボのように派手な紋様をもつものや、ハナヒゲウツボのように鮮やかな体色のものもいます。

多くの種類は、浅海の岩礁域やサンゴ礁に生息しますが、やや深い所の泥底にすむものもあります。夜行性で、性質が荒く、一般に貪食。鋭い犬歯をもつ種類にかみつかれると危険です。南方産のウツボの仲間には、かみつくときに毒液を出すものや、食べると中毒をおこすものもあります。

鋭い歯をもつ奇怪な顔つきから、昔から恐ろしい魚とされてきました。ヨーロッパでは古くからタコの天敵といわれ、日本でもウツボとタコの闘争の話が各地に伝わっています。

2017年10月19日木曜日

悲しみに耐えている風景

   悲しみに耐えている風景

きみが居なくなった日の朝の木々の影。
きみが子どもだったころの
近くにあった掘割りの水。
きみがいたときに
いっしょに見た旅先の物の影。
山、海、川。
見た映画、食べたもの。
歩いた町の通り。
きみが居なくなった日の朝に、わたしが書いた詩の中の風景。
詩はきらいやと、きみが云った日に
スペイン旅行のお土産に
若い友人からもらった「ゲルニカ」
ときどき、思いだす
きみの死顔。
唇に塗ってもらった紅。


「ゲルニカ」は、スペインの画家ピカソの大作(349.3センチメートル×776.6センチメートル)。スペイン内戦中の1937年4月26日、フランコ側を支援するナチス・ドイツの空軍が、バスク地方の自治と統一を象徴する町ゲルニカを爆撃しました。

同年夏のパリ万国博スペイン館の壁画を共和政府から依頼されていたピカソは、この事件に強烈に反応し、5月1日に構想を練り始め6月4日に完成しました。しかしピカソは、ゲルニカには直接言及せず、この、愛する祖国の惨禍を、スペイン人の深層心理に根ざした闘牛の象徴性に託し、キュビスムが可能とした破壊的なフォルムと、黒、白、灰色という悲劇的な色調で描き、「ゲルニカ」に時空を超えたヒューマニスティックなメッセージを与えました。
闘牛の象徴性に関しては、牡牛をファシズム、馬を抑圧される人民とするアングロサクソン系の解釈と、前者を人民戦線、後者をフランコ主義ととるスペイン系の解釈があります。この作品はその後ニューヨーク近代美術館に展示されていたが、81年、63点のデッサンや関連作とともに初めてスペインに帰り、ピカソの遺言に従って、マドリードのプラド美術館付属の19世紀館に展示されましたが、92年ソフィア王妃芸術センターに移りました。=神吉敬三

2017年10月18日水曜日

気を取り直して

   気を取り直して

気を取り直すということは
だれにもあるが、
おれは、しょっちゅうだ。
気を取り直して
どうなるか。
はじめの方がよかった場合が多い。
詩は手を入れるほど悪くなる。
おれのペンの字が
下向きかげんになってきたと
云ってくれたひとがいる。
来るやくそくのひとたちが来て
用がすんで帰ってしまうと
おれは、なんだかやる瀬ない気分になる。
手を入れたが
なるほど、前より悪くなった。
が、どうでもええわ。
そんなこと。
気を取り直すこと
やめる。


唐代、都の長安に科挙を受けるためにはるばるやってきた賈島は、乗っているロバの上で詩を作っていました。途中で「僧は推す月下の門」という一句を口ずさんでから、「推す」のほかに「敲く」という語を思いついて迷ってしまいました。

彼は手綱をとるのも忘れ、手で門を押すまねをしたり、叩くまねをしたりしましたが、なかなか決まりません。あまりに夢中になっていたので、向こうから役人の行列がやってきたのにも気づかず、その中に突っ込んでしまいました。

さらに悪いことに、その行列は知京兆府事、韓愈の行列だったため、賈島はすぐに捕らえられ、韓愈の前に連れて行かれました。優れた名文家であり漢詩の大家でもあった韓愈は、賈島の話を聞き終わると「それは『敲く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」といい、二人は馬を並べていきながら詩を論じあいました。

こうして、文章に「手を入れ」て良くするため、何度も読んで練り直すことを推敲というようになりました。けれど詩は、必ずしも推敲すればよくなるとは限りません。「詩は手を入れるほど悪くなる」「手を入れたが/なるほど、前より悪くなった」ということは、確かに、しばしば経験します。

2017年10月17日火曜日

異構造のもの

   異構造のもの

樹木や草や石や
雨や風に
ずいぶんお世話になったから
近いうちに、一度、招待して
食事をしよう。
おれは夜、仕事をするから
食事も夜にしよう。
和食よりも、
おれは洋食がいい。
おれの好みに合わせてくれるかしら。
合わせてもらおう。
これからも、おれの詩には
樹木や草や石が出てくるだろう。
雨や風も。
そのためには
異構造のものを書かねばならない。
異構造とは
未知のことばのきざしのあるものだ。
ありがとう。
樹木、草、石、雨、風。


「構造」は、ふつう各種建築物の形成様式をいいます。単純な建築物の多かった時代は、たとえば木造、煉瓦造、石造などの材質を示すことで構造が明らになっていました。しかし、現在では建築の構造方式が多種多様になり、さまざまな材料が複合的に用いられているので、木構造、組積造、ブロック造、鉄筋コンクリート造、鉄骨造、鉄骨鉄筋コンクリート造などの主要構造による分類のほかに、建築物のもつ機能上の特殊目的や、構造物全体の力学的な性格を示す用語がしばしば用いられています。

ほかにも、自動車の構造、心臓の構造というように「構造」(structure)は、全体を成り立たせる内部の仕組み、部分部分の組み立てのことをいいます。言語においても「構造」は日常的に用いられ、言葉を構成するさまざまな単位あるいは諸要素が有機的に織り成す関係の総体が構造です。人間は世界の構造を、ひとつひとつ、言葉の構造に置き換えて行きます。
そしてその言葉と言葉の関係性によって、世界の関係性を表現します。その構造は世界の構造と完全に一致することはありませんが、世界の構造は言語の中に入り込み、また言語の構造は、世界の構造とは独立な深みを持つようになり、そこにまた新しい言葉が発生してくるともいえます。

「これからも、おれの詩には」、これまでのように「樹木」「草」「石」「雨」「風」も出てくるだろうと詩人はいいます。「そのためには/異構造のものを書かねばならない」と強調しています。そして、「異構造とは/未知のことばのきざしのあるものだ」というのです。

2017年10月16日月曜日

新しい仕事

   新しい仕事

消せるものなら
死という言葉を
世界の詩の言語空間から
一つ一つ消していこう。
それはたいてい夜あけの樹木の
淡い影の中にあるから
外に出て
まず樹木を消すことに取りかかろう。
時間はそうないのに
影は地平にまでつづく森林の影になっている。
臥ているところから窓に見えるのだ。
たぶんおれの方が先に根負けして
樹木の影だけが
あとに残るだろう
それでも作業ははじめよう
明日と云わず
いまから
直ちに。


医学的、とくに臨床的に「死」という場合は、心拍動、呼吸運動および脳機能の永久的停止が明確になったときと考えられています。

医療技術の進歩に伴って最近は、脳機能の回復見込みがまったくない患者を人工呼吸器の装着により機械的に維持管理しうるケースが増え、「脳死」という新しい死の概念や判定基準も示されてきました。

生物学における死とは、生物が生命を不可逆的に失った状態をいいます。一般的には個体の死を意味しますが、器官、組織、細胞などのレベルにおいても死ということばが用いられます。

「個体が生きている」「細胞が生きている」という場合の生死の基準は、それぞれのレベルで、普通に期待される存在価値が認められるかどうか、一定の機能を営んでいるか否かにあるといえます。

バクテリアがその生存を認められるということは、分裂して増殖することができるということであり、殺菌剤や紫外線照射で繁殖能力を失うと、個々のバクテリアが物質代謝を停止しない状態であっても、そのバクテリアは死んだことになるのです。

高等動物個体では、脳の全活動の停止、心拍の停止、呼吸運動の停止がおこり、人工的な蘇生の努力がすべて無効であれば死と判定されます。これは高等動物個体に期待される存在価値、主として個体の全一性が不可逆的に失われたからです。

しかし、個々の細胞、組織、器官は、培養したり他個体に移植すれば生き続けることもあります。これらは器官、組織、細胞レベルでは生きていますが、個体を生じる例は知られていません。

下等動物では、ヒドラやカイメンのように、個体をつくっている細胞をばらばらに解離しても、集合した細胞塊から新しい個体ができます。もとの個体はなくなっても、細胞は生き残って新個体を生じるわけです。

これらの動物にとっては細胞の生死が重要であり、細胞が生きていれば、生物学的な価値は維持されていることとなります。また、ゾウリムシやクロレラのように、体が一つの細胞でできている単細胞生物の場合では、細胞の死が個体の死に等しくなります。

2017年10月15日日曜日

古い詩集

   古い詩集

古いおれの詩集が
横に数冊ある。
時間を早めるために
それを手にして、読んでいる。
そんな習性は
だれにでもあるだろう。
はじめて見たものより
舌なめずりするのはこれだ。
はじめて見たものは、
魅力がありそうでない。
初もの食いなんてきらいだ。
一冊のところどころをひらいて
これはええわと
悦に入っている。
ええと思った詩がある頁は
右下のはしを折って
〇印のかわりにする。
次にまた読むときに都合がよいから。
安西冬衛が
出来上った自分の新詩集を前にしたとき
おれと同じように
そうした。


「安西冬衛」(1898―1965)=写真、wiki=は、十三郎とほぼ同年代の詩人。奈良市に生まれ、堺中学卒。後に父に従って満州の大連に渡りました。病気で右足を切断する不幸にあいましたが、1924年には北川冬彦、滝口武士らと『亜』を創刊した。『詩と詩論』にも参加し、昭和のモダニズム詩の中心的な推進者となりました。

第1詩集『軍艦茉莉(まり)』(1929)から『座せる闘牛士』(1949)まで、6冊の詩集があります。とりわけ有名なのが、初期の短詩運動時代に作られた「てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた。」。「春」という題のこの一行詩は、開かれた時空へと向かうゆるやかな春という季節がみごとにとらられています。

2017年10月14日土曜日

ロープを背に

   ロープを背に

宙に
花かなにかのまぼろしを見て舞うように、
浜辺をさまよっているひとがいた。
九十九里浜で。
おれも、人から見ると
宙にまぼろしを描いて
さまよってる者かも知れんな。
おれは、男だから
シャドウボクシングのかたちで
宇宙空間の中を歩いている。
右、左と
なにかの衝撃を受けているが
手もとにあったものはない。
未知のコトバ探しをしている者の動きは
このようなものに思える。
ジャブ、アッパーカット、クリンチ
ロープを背に
空間の中で。


「九十九里浜で」「浜辺をさまよっているひと」のように「おれ」も、「宙にまぼろしを描いて/さまよってる者」なのかもしれないと詩人は思います。

「九十九里浜」は、千葉県東部、太平洋に面する北の刑部岬から南の太東崎に続く弓状の砂浜海岸です。長さ約60km。旧制の6町=1里で 99里あるところから命名されたとされます。海食台の相対的隆起と波浪による漂砂の堆積によって形成されました。

イワシの回遊が多く、戦国時代末から地引網漁業が始まりましたが、明治時代初期からあぐり網漁業に代わりました。海浜に納屋がならび、納屋集落が形成されました。現在は海水浴場としてにぎわっています。

「シャドウボクシング」は、shadowboxing。ボクシングの練習法で、相手がいるものと想定して手足を動かし、ひとりでパンチを繰り出して攻撃や防御の練習すること。

「未知のコトバ探しをしている者の動き」を「シャドウボクシングのかたち」に見ています。