2017年4月15日土曜日

いたるところの訣別

   いたるところの訣別

俺は友が友にそむき去る日を見た
相手の腕は折れ額に血潮のにじみ出るのを見た
俺は又一枚の表札が剥がれ一台のトラツクの走り去るのを見た
トラツクの積み込まれた夜具や鏡台や七輪を見た
    さやうなら!
 がつかりしちや駄目
俺は彼女たちの明るい声を聞いた
俺は彼女たちの勇ましい沈黙と微笑を見た
そして俺は見た
一切の生温かきもの、卑弱なるもの、じめじめしたるもののいくらかがこの世界から美しく掃き清められてゆくのを

友達とは何か、女とは何か、家庭とは何か
家庭を破壊するとは何か
友達を抑へ虐殺するとは何か
俺たちはそれをやつた
そして俺たちはそれを知つた


十三郎は、南天堂で知り合った萩原恭次郎、壺井繁治、岡本潤らの詩誌『赤と黒』に刺激を受けてアナーキズム詩運動に入りましたる。アナーキズムが社会運動、革命運動のなかで世間の注目を浴びるようになったのは、マルクス主義との対抗関係においてでした。

17~18世紀の市民革命の結果生まれた近代社会は、人間の自由を保障するという面では著しい前進を示したものの、その後の近代資本主義の発展は、人間の間に経済的、社会的不平等をもたらし、この格差を維持するために自由の拡大もまた抑圧されることになります。

このため19世紀に入ると、国民の大半を占める労働者や農民の地位を改善することを目ざしたさまざまな社会主義思想が登場しました。アナーキズムはこうした思想状況のなかで登場した、社会主義思想の一つとみることができます。

ただアナキズムは、当時革命思想として労働者階級の間で指導的地位を確立しつつあったマルクス主義と、その理想社会のイメージやそれを実現する方法をめぐって対立関係にたつことになります。マルクス主義者とアナーキストは、歴史上、激しく対立はしたが、ときには、両派は専制支配の打倒や反ファシズムのために共同して闘うこともありました。

マルクスはアナーキズムの代表的思想家プルードンの革命理論を厳しく批判し、第一インターナショナルのなかではマルクス派とバクーニン派が路線問題をめぐって激しく対立しました。大正期の日本でも、いわゆるアナ(大杉栄)・ボル(堺利彦、山川均)論争がおこっています。

*書かれていることは萩原恭次郎の「断片12」で書いたものと同じ事柄らしい。
  昨日の友も次第々々に別れて今日は敵となる
  我々は益々少数者となり益々多数者の意志する所に近づかうとする
  吠えてゐるものにも 騒ぐ者にも 高い所にゐる者にも
  静かなる無言の訣別をする
 アナーキズムとマルキシズムの思想的対立から生まれた離合集散の痛みをえがきながらも小野は怒号もしなければ自虐に走りもしない。「彼女たちの勇ましい沈黙と微笑を見た」と書くことができるのだ。なぜか。そのときの激情にふれまわされずに、つまり現実の反映にとどまることなく、現実を超える契機を表現を通して産み出せたのは、他でもない、敵はおれの内にいるという直観、変えなければならぬもの・のりこえなければならぬものはおれの内にこそあるのだという直感が、当時すでに小野を捕えていたからにちがいない。
「私たちの感情の中には、無意識的なものに由来する非常に脆いもの、ちょっとした衝動で、感傷となり詠嘆となって、ずるずるとそのまま敵の方にくずれてしまうたよりない不安定な要素が残っている。中野重治は、それを自分の生活や心の持ち方の問題としてたえず意識したように思われる。世の常のアバンギャルドや政治的詩人のように、自分は、庶民感情の中に残存している古いものや弱いものからきれいさっぱり脱け出していると思うような自負はなかった」(『日本詩人全集25巻』「中野重治・人と作品」)
 小野がこのように書くとき、それは中野の詩の持っている抒情の質に関して述べようとしているわけだが、確信をもって小野に述べさせているその根は「民衆とともにあることは死ぬまで民衆の中にあるものを軽蔑しつづけていることだ。民衆とはだれでもない俺だと言えることだ」という『詩論』208の言葉と等しい。
続く次の文章で小野はむしろ自己確認をしているようにさえおもえるのだ。
「弱さや脆さや古さも、それがなお現実に消滅せずして存在する理由が自覚されているかぎり、実にその弱さや脆さや古さの中からさえも、人間の感性に革命を生ぜしめ、それを新しく秩序づける契機を見出すことができる」(「中野重治・人と作品」)
 後年小野が「短歌的抒情の否定」を主張したとき、歌壇歌人への攻撃としか受けとれない人々が多かったが、小野の真意はもちろん、「わたし自身の内部にある短歌」にあることは論を待たない。《安》

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