2017年4月21日金曜日

鏝と鋏

   鏝と鋏

「××××が生前使つてたものだ」
さう云つて仲間は手にしてゐたものを畳の上に並べた
それは古風な鏝と鋏であつた
鏝は赤く錆びつき、異様に大きい鋏は手垢で黒く光つてゐた。

俺は今さらのやうに彼が女であつたことを想ひ出した
こゝにも彼女が一生を懸けて苦しみ戦つてきた路があつた
叛逆児××フミが女性であつたと云ふことは必ずしも偶然ではなかつたのだ
錆びた鏝を持ちあげてしづかに置いた。


「鏝(こて)」は、形を整えるために用いられる道具。①左官用、②裁縫用、③整髪用などがあります。「鏝と鋏」という組み合わせと「今さらのやうに彼が女であつたことを想ひ出した」という詩句からすると、ここでは「裁縫用」でしょうか。

裁縫用としては、鉄や銅で作られたひしゃく形の容器に炭火を入れて使う火熨斗(ひのし)や小部分に使うこてがあります。絹織物の地直し、絹、毛織物などの手ではつかないきせかけ、縫い目を整えたりすするのに用います。笹の形に似た笹ごては先がとがっているので縫い代を割ったりするのに便利で、丸ごては布の焼べらとしても使われる。

「××フミ」は、大正期のアナキスト、ニヒリズム的な思想家である金子文子(1903-1926)=写真、wiki=のことでしょう。戸籍と違い、実際は1904(明治37)年、横浜生まれ。

両親からも、朝鮮に住む叔母からも温かい扱いを受けず、辛い思いで少女時代を過ごしました。1918(大正7)年に上京。新聞売り、露天商、女中などをして苦学しているとき、朝鮮人朴烈(準植)を知り、朴のアナキズム的な思想や虐げられた民族の生き方に共鳴します。
生活を共にしながら、『太い鮮人』『現社会』などを刊行。1923(大正12)年の関東大震災の際に朴と保護検束され、すぐに大逆罪の容疑者に変更。公判では、天皇制否定の思想を隠さず陳述し、1926(大正15)年3月大審院で朴と共に死刑をいい渡されます。無期懲役に減刑されるものの、宇都宮刑務所栃木支所に送られ、そこで縊死しています。

*「××××」が「××フミ」つあり彼が女であったことを想い出したとき「俺」は彼が男としてふるまわなければならなかった苦しい闘いの日々を強く想い出しているのだ。「錆びた鏝を持ちあげてしづかに置いた」という動作は、だから単なる追憶の動作ではなく、屈折した確認の動作であるところにこの詩の良さがある。××フミとは朴烈事件の朴烈の愛人金子文子である。大正12年天皇暗殺を企ててともに検挙され文子は獄中で自殺した。《安》

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