2017年4月27日木曜日

早春

   早春

ひどい風だな。呼吸がつまりさうだ。
あんなに凍つてるよ。

鳥なんか一羽もゐないじやないか。
でもイソシギや千鳥が沢山渡つてくると云うふぜ。まだ早いんだ。

広いなあ。
枯れてるね。去年もいま頃歩いたんだ。

葦(よし)と蘆(あし)はどうちがふの?
ちがふんだらうね。何故?

向ふのあの鉄骨。どこだ。
藤永田造船だ。駆逐艦だな。

澄んでるね。
荒れてるよ。行つてみよう。


いよいよ十三郎の代表的な詩集の一つとされる第3詩集『大阪』の作品です。『大阪』は昭和14年4月、赤塚書房から刊行されました。大阪に帰った小野は、なんとなく乗ってみたくなって葦原橋から市電に乗って、堺まで行きます。

町並みが途切れると人家がなくなり枯葦原ばかりになります。大工業地帯をバックにした葦原の風景を見て小野は、名所史蹟などとるに足りない、ここの他のどこに大阪の大阪たるところがあるのかと感じ、「葦の地方」と名づけます。それから日課のように大阪周辺に広がる「葦の地方」へと出かけることになります。

「わたしはそこで、遠くの化学工業が放つ異様に強烈な白光を見て興奮したり、もう日が暮れるというのに、葦原を馳けまわつて、トンボ釣りをしている子どもたちの家のくらしのありさまなどを想像したりした」(『奇妙な本棚』)

「藤永田造船所」は、かつて大阪市にあった民間造船所。日本最古の造船所とされ、日本海軍の艦艇や鉄道車両を製造していました。特に駆逐艦建造=写真、「黒潮」=で有名で、「西の藤永田、東の浦賀」と呼ばれていました。

元禄2年3月、大坂堂島船大工町に船小屋「兵庫屋」として創業。開国以後、西洋式船舶である君沢型スクーナー船、木造外輪汽船の建造に取り組み、近代的造船所に脱皮。さらに、造船業のほかに、鉄道車両、化学工業機器の製造など多角化を進めました。

戦前は、日本海軍との関係が強く、それによって昭和金融恐慌による経営危機を乗り越えました。が、1967年10月、企業競争力の強化のため同じ銀行融資系列の三井造船に吸収合併され、兵庫屋時代を含む278年の歴史に幕を閉じています。

*このような対話体の巧妙な語り口もまた小野の得意とするところであって、『重油富士』の「秋の草に」や「機械化遊戯機具群の中」などは全篇対話体で貫かれている。この作品は「葦の地方」への小野の招待状である。《安》

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