2017年5月19日金曜日

自然嫌い

   自然嫌い

木の名も
草の名も
あまり知らない。
鳥の名も昆虫の名も知らない。
みな忘れた。
おそろしく不正確な知識と記憶をたどつて
野外の草木を見る。農作物を指さす。
小鳥たちの名を呼ぶ。
自然は応へない。
私はもう永い間それなしですませたのだ。
今朝、私はあの埋立地で
ふいにひばりのやうなものが天に舞ひ上るのを見た。
 (多分あれはひばりだらう)
世界には木も草も鳥も昆虫も存在しない。
完全な記憶喪失の中で
モリだとか ノグチだとか
アユカワだとか
そんな名前をたくさんおぼえた。


「モリだとか ノグチだとか/アユカワだとか」というのは、当時の新興財閥の名前をあげています。

森コンツェルンは、森矗昶 (のぶてる)=写真、wiki= が日中戦争にいたる過程で形成した新興化学財閥。森は1926年日本沃度を設立してアルミ工業に主力を置き、28年には昭和肥料を設立して余剰電力を活用した電気化学、冶金分野へ進出します。

日本沃度は当時の軍需インフレーションに伴って急成長し、34年日本電気工業と改称するとともに傘下に昭和鉱業、樺太炭業、昭和火薬を設立し、35年には宝城興業を直系傘下企業とします。さらに、東信電気、昭和肥料も傘下に加えてコンツェルンを形成しました。

37年には、これらコンツェルンの持株会社森興業 (1922設立) の傘下企業は 27社を数えるにいたっています。第2次世界大戦後の財閥解体によって森コンツェルンも崩壊しました。

第2次世界大戦末まで日本最大の化学工業財閥が、野口コンツェルン(日窒コンツェルン)。1906年野口遵が設立した小電力会社、曾木電気が前身で、08年日本窒素肥料と社名変更し、フランク=カロ法による石灰窒素やカザレー法による硫酸アンモニウムの製造に成功してその発展の基礎が築かれました。

その後日本で初めての空中窒素固定工場の建設、キュプラ糸「ベンベルグ」製造の成功など技術開発に努める一方で、1920年代中期から朝鮮に進出し、水源開発によって得た豊富な電力を利用して窒素肥料を中心とした多くの化学工業を興しました。

41年には直系だけでも 30社、資本金総額 3億5000万円の大コンツェルンに発展した。第2次世界大戦後、外地の資産を喪失し、コンツェルンは解体されるとともに日本窒素肥料は第二会社新日本窒素肥料として再発足、また旭化成工業、積水化学工業などに解体されました。

鮎川財閥(日産コンツェルン)は、1910年戸畑鋳物を設立した鮎川義介が、経営不振となった久原鉱業の再建を依嘱されて社長に就任、28年に日本産業 (資本金 7500万円) と改称して公開持株会社に改組したことにはじまります。

29年鉱業部門を分離して日本鉱業を設立、以来多くの会社の吸収合併、新規設立、直轄事業の分離などを重ねて、37年には日本鉱業、日立製作所、日産自動車、日本水産、日本コロムビア、日産化学工業、日本油脂、樺太汽船、大同火災海上保険など重工業を中心とした 18の直系会社、130の傍系会社をもつコンツェルンに成長しました。

37年には本社を満州に移し、満州重工業開発 (資本金 4500万円) と改称して南満州鉄道株式会社 (満鉄) の重工業関係部門を引継ぐとともに、昭和製鋼、満州炭鉱、満州軽金属製造、同和自動車、満州飛行機製造、満州投資証券などを設立し、日本の満州における植民地経済の中核的存在となりました。第2次世界大戦後の財閥解体の際には直系会社を含む資本金総額は 17億円をこえていたといいます。

*木の名も草の名も鳥の名も昆虫の名もみな忘れたとはどういうことか。世界に木も草も鳥も昆虫も存在しないとはどういうことか。もちろんこれは、単に忘れたのではない。忘れようとして忘れたか、無理に忘れさせられたかのどちらかである。単に存在しなくなったのではない。存在できぬようにされたか、存在しないのだと思いこみ思い定めて
いるかのどちらかである。この意図的な事態はなにごとであろうか。「モリ」「ノグチ」「アユカワ」という名前が当時の新興財閥の名前であったということを知るとき、この作品の意図は急に判明する。《安》

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