2017年5月6日土曜日

大葦原の歌

   大葦原の歌

泥溝(どぶ)は
川にながれ
川は海に入る。
葦は穂波をうつて
街の周辺に押しよせてゐる。
雨水の浸みこんだ電柱は
乾きもやらず
葦切が啼く広いさびしい道が
地平につづいてゐる。

  或る日
  街の屋根から
  小さな細い一本の煙出しが
  海の方を見て云つた。
  きみのところはなんとしづかなんだ。
  陽が照つてゐるのに
  洗濯物も干さない。
  かまはないの。

海の方には
巨大な煙突がななめに重なつて
煙を吐いてゐた。


いよいよきょうから有名な第4詩集『風景詩抄』の詩に入ります。『風景詩抄』は、昭和18年2月15日湯川弘文堂(大阪)から発行されました。定価1円50銭。全部で87篇が収められています。扉には、レオナルド・ダ・ヴィンチの「瞳は精神よりも欺かれることが少ない」という言葉があります。

「葦切」(よしきり)は、「Acrocephalus」属の鳥の総称。ユーラシア、アフリカ、オーストラリアに分布し、渡りをするものが多い。日本には、夏鳥としてオオヨシキリ=写真、wiki=とコヨシキリが分布します。オオヨシキリは体長18cm、コヨシキリは14cmほど。一般に「ヨシキリ」あるいは「ギョウギョウシ(行々子)」とよばれるのは、葦原に生息しているオオヨシキリですが、葦原周辺の草原にすむコヨシキリも混同されていることもあるようです。

*『大阪』冒頭の詩「早春」と同様この詩集への一種の序詞である。「早春」同様の技巧の冴えでもって読者を「葦の地方」にひきずりこむ。だが両者を並べてみると、「早春」にはある風景をみている生理的視線を感じるが、「大葦原の歌」ではいささかおもむきが異なり、内と外とを同時に見るような、見ると見ないとを同時に捕えるような、複合的構造的視線を感じる。これはまさに二つの詩集の違いであるといっていいだろう。《安》

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