2017年8月14日月曜日

シェーラの山

   シェーラの山

太陽はむろん
はじめておとずれた土地では
空の青さがちがう。
はじめて行ったところでは
木々のたたずまいも同じではない。
石にさす影もちがう。
鳥がいても、馬がいても
それは同じ鳥でもなく馬でもない。
いま、このように
世界のどこかに
陽があたり
風が吹いているか。

シェーラの岩石地帯で
一人の日本人の画家が半日道に迷って
やっとある部落にたどりついた。
そこには泉が湧き出ていて
村の女たちが列んで洗濯していた。
彼はそのそばに車をとめた。
そしてよごれたセーターを脱いで
それをつかんで泉のふちに立った。
すると、と彼はわたしに言ったのだ。
少しはなれたところにいた女の一人が
おれのそばにやってくるなり
身ぶりでおれを制して
おれの手からセーターをもぎとり
また元の位置にもどって
まるでそうすることが自分の当然のつとめでもあるように
水に浸し、濯ごはじめた
あっけにとられたね、おれは
スペインの秋の太陽は強烈だ
きみ、あれはほんとうだね、子どもがよく絵に描くだろう? ヒゲの生えた太陽を
そのとき おれには
太陽はほんとうにそう見えた。
話を終えてパイプを再び口にした彼は
え? といぶかしげに
わたしの眼の奥をうかがった。
かつてのバスクやカタロニヤの諸州に
つかのまに生れては
つかのまに崩壊した部落コンミュン。
その民家の土壁や広場の砂を
代赭色に染めた
スペインの秋の太陽が
なおかくかくとして
わたしの網膜の上にあった。


「シェーラの山」とは、シエラ・ネバダ山脈(Sierra Nevada=「雪の山脈」の意)=写真、wiki=のことでしょう。スペイン南部アンダルシア地方、地中海沿岸に東西80~100km、南北40kmにわたって連なる山脈です。

「シェーラの岩石地帯」は、おもに結晶質岩石と古生層で、新期造山運動によって形成された褶曲山脈です。最高峰はムーラセーン山(3478m)で、これはイベリア半島の最高峰でもあります。シエラ・ネバダは万年雪に覆われ、3000mを超えるところにはカール、2000m前後にはモレーンなど氷河地形が形成されています。

スペインでは、1931年4月の自治体選挙で共和派が勝利し、ブルボン朝のアルフォンソ13世が退位すると、共和派、農民・労働者・知識人は当時のソ連の繁栄の影響を受けて、社会主義政権発足を目指しはじめました。当時スペイン国内に散在していた共産党をはじめとする社会主義政党をまとめ上げて、1936年2月の総選挙で右派を抑えて勝利し、挙国一致内閣を成立させます。これに反する軍部・右翼・地主・旧貴族・カトリック教会などの保守階級は当時モロッコに赴任していたフランコ将軍を推してナショナリスト軍を結成、1936年7月、人民戦線政府に対し反乱を起こします。これによって、スペイン内戦が始まりました。

ソ連をはじめ、世界各国の社会主義政党、共和派、反ファシズム勢、国際旅団の援助を受け人民戦線はしばらくは持ちこたえましたが、ファシズム政権の誕生を期待したドイツ、イタリアなどのファシズム国家の大量の軍事支援を受けたナショナリスト軍は圧倒的軍事力で人民戦線を壊滅に追い込んでいきます。拠点の一つだったカタルーニャ地方のバルセロナが陥落したことにより、1939年2月に人民戦線政府は国外に亡命し、4月にナショナリスト軍は首都のマドリードを攻め落として内戦は終結しました。

この間、1937年春には北部のバスク地方が他の人民戦線側地域から分断されて孤立し、ビルバオ、サンタンデール、ヒホンなど主要都市が陥落して、アストゥリアスからバスクは完全に反乱軍に占領されました。4月26日にはバスク地方のゲルニカが、ドイツから送り込まれた義勇軍航空部隊コンドル軍団のJu52輸送機を改造した爆撃型主体の24機による空襲(ゲルニカ爆撃)を受けました。これは前線に通じる鉄道・道路など交通の要だった同市を破壊して共和国軍の補給を妨害するためのもので、巻き添えとなった市民に約300人の死傷者が出ました。これが、有名なパブロ・ピカソの絵画『ゲルニカ』の題材となりました。

*出だしの12行で、人が「異郷」への旅でまず味わう心の震えがまるでそれ自体一篇の詩であるかのごとく彫り深く歌われている。もちろんこの作品の本題はそのあとにあるのであって、友人の画家がスペインで経験したことが語られる。村の女が「まるでそうすることが自分の当然のつとめでもあるように」よごれたセーターを泉で洗ってくれたという話をきいていた「わたし」は、「かつてバスクやカタロニヤの諸州に/つかのまに生れては/つかのまに崩壊した部落コンミュン」を想起する。読者は小野とともに「部落コンミュン」を幻想することになる。《安》

0 件のコメント:

コメントを投稿