2017年8月3日木曜日

土民の手

   土民の手

アルジェリヤの砂漠で
ゲリラの土民が
重機関銃を分解している。
おれの指はまだこのように知的に
一個の物を愛したことがなかつた。
聖者のようなあご髭をはやした巻角カモシカが近くにいて
やさしい眼で
じつとその手の動作を見まもつている。
おれの指はまだこのように
かしこい生きものたしからふしぎがられたこともなかつた。
深夜、卓状の蛍光灯に
指をひろげると
血管がうすく透けて見える。
これは俺の手だ。


アルジェリアでは、1954年から1962年まで、フランスに対する民族解放戦争が起こりました=写真、wiki。アルジェリアは1830年にフランスによって侵略され、1834年以降その植民地支配のもとに置かれることになりましたが、以来白人移民(コロン)によるアルジェリア人の土地の収奪が進められ、またアルジェリア人に対する差別的な政策が導入されました。

この間アブデル・カーデルの反乱をはじめ数多くの抵抗運動が断続的に起こりましたが、ことごとく鎮圧されました。第一次世界大戦後フランスは部分的な改革を実施したがアルジェリア人の多くは満足せず、1926年にはパリ在住アルジェリア人やチュニジア人の間に「北アフリカの星」という名の政治組織が創設され、近代的な民族運動の時代が到来しました。

「北アフリカの星」は1930年代なかば以降アルジェに本拠を移し、民族運動はいっそう盛り上がりましたが、第二次世界大戦中ビシー政府の手で運動は弾圧され、「北アフリカの星」の後身であるアルジェリア人民党は禁止されます。大戦末期に創設された「宣言と自由の友の会」はアルジェリアの自治を要求しましたが、戦後の植民地改革にもかかわらず、アルジェリアはあくまでもフランス本土の一部とされたため、民族主義者の不満は限界に達します。

1954年11月、東部山岳地帯で開始された武装蜂起は、しだいに全国の農村地帯へ広がり、都市でもサボタージュやテロによる抵抗運動が頻発するに至ります。これに対しフランスは、当初延べ5万人にすぎなかったアルジェリア駐留軍を1958年までに50万人余りに増強し、解放闘争の鎮圧を図ったが成功せず、国内世論の分裂、巨額の戦費による財政難などによって、ついに第四共和政そのものの危機を招く結果となりました。

この危機を打開するためフランスは、1958年2月、宥和政策として地方自治の拡大を骨子とする新アルジェリア基本法を成立させましたが、これはアルジェリア人を満足させなかったばかりか、かえってアルジェリア駐留フランス軍の反乱を誘発することになりました。そこで、軍の支持を背景にドゴール将軍が政権を掌握して、同年10月に第五共和政を発足させます。他方、同年9月にはエジプトのカイロにアルジェリア共和国臨時政府が樹立され、ドゴール政府も9月にアルジェリア自決権を承認し、その後1962年3月の停戦協定(エビアン協定)、同年7月の住民投票を経て、アルジェリアは独立を達成することになりました。

*アルジェリア解放戦争を歌ったこの作品の発想を決定づけたのは「雑誌『世界』で見た、だれが撮ったのかもわからない、砂漠の砂の上で機関銃を分解している土民兵の姿をスナップした一枚の写真であった」(小野)という。この作品の解説をした村野四郎は「おれ」をゲリラの土民ととり、「血管がうすく透けて見える」手を土民の手だとしている。「彼(土民)は夜ふけてから、宿舎のテーブルの上の蛍光灯に、そっと自分の手をひろげてみる。しかし、その黒い手には、やはり前と同じように土人の血管が透けて見える。だがこれはもう昨日の手ではない。機械をいじった別の手だ。この革命を知った土人の手は、まさに新しい俺の手なのだ、と作者は土民の心理を追いかけている」(『鑑賞現代詩Ⅲ昭和』筑摩書房)。
 この解説は魅力的であって、いっそのことそうであったらとおもわせるのだが、実際のところ、「血管がうすく透けて見える」手は小野自身の「白い手」である。小野は夜ふけてから、書斎の机の上の蛍光灯に、そっと自分の手をひろげてみる。しかしその白い手には、やはり前と同じように血管が透けて見えるのだ。小野の自伝的エッセイ『奇妙な本棚』の第二章は「この白い小さな手よ」と題されていて、小野の「白い手」コンプレックスが丹念に語られているが、重機関銃を分解しているゲリラの土民の指に感動した小野がその手へ自己の手をかさねあわせてみることで生れてくる屈折を、読者もまた人それぞれの屈折を持って受けとめることができる。《安》

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