2017年8月7日月曜日

野辺歩き

   野辺歩き

この杖を
一ふりすると
小川に光る
ねこやなぎのブッシュが
榕樹の森になる。
春さきの日本の小川に
水しぶきをあげて鰐がすべりこむ。
麦畑は砂糖黍畑に変じ
百姓たちは白い大きなつば広帽子をかぶる。
弾薬帯をたすきがけにかけわたす。
この杖を高く上げると
堆肥の中から
自動小銃の束が出てくる。
山裾の孟宗林から戦車が現れる。
この杖をおろすと
榕樹の森は
元のねこやなぎになる。
川にはまいまいつぶろだけ。
つば広帽子は消えてしまう。
自動小銃も 戦車も
あるべきところへ。


「榕樹」は、ガジュマル=写真、wiki=のこと。アコウに似たクワ科の常緑高木で、熱帯アジアからミクロネシアに広く分布し、沖縄にも自生します。ガジュマルは沖縄の地方名のようです。果実は径8ミリメートルほどで、赤褐色に熟し、野鳥が好むといわれます。潮風に強いので、熱帯では防風用生け垣や庭園樹に、心材は細工物に用いられます。

「孟宗林」は、「孟宗竹」林のことでしょう。孟宗竹はアジアの温暖湿潤地域に分布する竹の一種。日本のタケ類の中では最大で、高さ25mに達するものもあります。冬に母のために寒中筍を掘り採った三国時代の呉の人物、孟宗にちなんでいます。

「まいまいつぶろ」は、東京弁で、カタツムリのことをいいます。

*井上俊夫は次のように疑問を述べている。
「ここで小野は詩を書くこと(あるいは詩人の想像力)の限りないむなしさについていいたかったのだろうか。それとも意識と現実の矛盾と相剋か。それとも、いわゆる抵抗詩とよばれるものに対する不信と諷刺か。またはいちじるしく実行力を欠いた日本の前衛政党に対する批判なのか。私はいくつもの解答のメスを用意し、それをこの作品につきたててみる。けれどもこの20行あまりの短詩からは、ついに血のしたたるような手応えを得ることができなのである」。
 この疑問に対して小野は次のように答えている。
「おそらく井上俊夫も、この詩をいま読まれた読者もなっとくしないだろうけれど、およそ武器と判定していいほどのものは全部一方的に蓄積されていて、片方側には無いという現代社会における状況を、どちらの側も平等に所有しているか、平等に所有していないかという状況に還元し均らしてしまいたいというわたしのひそかな願望のごく自然発生的な表現である。……実際は、どちらか一方に偏在していることによってそれは武器なのである。持っている奴は放さない。なおその上に増やしていく。持ってない奴ときたら徹底的に持ってない。また、持たせようとしない。わたしはそれでは不公平だとおもうし、不安でもあるから、ときに〝魔法の杖〟を一閃させて、日本の田園風景を民衆の武装蜂起の舞台に変えてしまう。所詮は虚構か悪夢の世界の出来ごとであり、そこにひき出された大砲がクートオのあの透明で抽象的な大砲のごときものであっても、この芸当はわたし個人にはなかなか意味があるとおもっているのだ」(『奇妙な本棚』)。

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